これは夢なのかもしれない。生きているとたまに思う。俺の人生はゲームとか映画とかの何かの一部なのではないかと。
そしてどこか遠いメタ世界で誰かが鑑賞したり操作したりしてるんじゃあないかと。
俺はいつも思っていた。俺の人生はできすぎている。
こんなにも毎日楽しくていいのだろうか。こんなにもただ茫然と口元に運ばれてくる喜びとか楽しさみたいなものをパクパクと啄むだけでいいのだろうかと。
何かに努力している人間は美しい。甲子園とかオリンピックとか見て感動するのは美しいからだ。
そこにいれば、そこでじっとしていれば幸せは寄ってくるのに、わざわざ走って探しにいく人に、俺はやっぱり感動してしまう。
自分にはできないなという諦めと共に。
それは決して後ろ向きな諦めではなく「俺は男だから男子便所に入る」や「足のサイズが27cmだから27cmの靴を買う」みたいな、至極真っ当な判別である。
俺には俺の幸せがあり、人には人の幸せがある。
隣の芝は青いが、隣の人から見たら俺の芝も青いのである。
いつか、「やっぱり走りたい」みたいな気持ちが襲ってくるのにちょっぴりビビりながらも、日々余裕綽綽で生きているのが、この俺なのである。
いしかわ